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ちょっとしたことを綴っていきます。


by saitamanohotori
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待ち合わせ

携帯電話(以下、ケータイ)がない時代の待ち合わせとは、どんなものだったのか。

現在の渋谷ハチ公のような、大勢が待ち合わせる場所では、ほとんどの人がケータイを片手に持って立っている。待ち合わせ時間になっても、友人や恋人が現れない場合は、メールなり電話で連絡を取り、どのくらい遅れてくるのか、ハチ公のどの辺りにいるのか、を把握する。ケータイがあれば、お互いの状況を容易に把握できる。
「いま、どこにいるの?ハチ公近くにいるんだけど。」
「いま手を振ってみるから。まわり見てみて。」
「あ、いたいた。すぐそっち行くね。」
といった具合に、大勢が待ち合わせるハチ公前でも確実に会うことができるのだ。
では、ケータイがない時代は、どうなのか。厳密に待ち合わせ場所を限定するのだろうか。
ハチ公の右どなり
ハチ公の目線の先
ハチ公の半径3m圏内
といった具合。
高校生の頃、
改札口を出たところにある大きな階段の下から3段目
に待ち合わせをしたことを思い出す。

しかし、遅刻はどうしようもない。待つほうの人は、相手がどのくらい遅れるのかを知るすべがないし、遅れるほうの人は、待つ相手にどのくらい遅れるかを知らせるすべがない。
待つ人は、とにかく待つしかないのだ。
そこにドラマがあるような気がする。
待っても待っても現れない。帰ろうとしたその瞬間、自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。胸の高鳴りを押さえて、振り返ると...

ドラマは置いておいて、
しかし、待たせるとは迷惑な話だ。待つほうの人の不安を考えたら、待たせられない。したがって、ケータイがない時代は遅刻できないのだ。
現在はどうだろうか、遅刻をする人が多い気がする。これは、ケータイが遅刻を助長しているのかもしれない。
遅刻しそうなら、どのくらい遅れるかメールや電話で容易に伝えることができる。
何分遅刻するのか分かれば、待つほうの人は、その時間だけ時間をつぶすことができる。便利といえば便利な話だ。
逆に、遅刻を助長する。手軽に遅刻できる環境をケータイ文化が創り出したのだ。

最近、渋谷のハチ公前で待ち合わせをしながら、以上のことを考えた。

待ち合わせ_c0069456_15204728.jpg






三寒四温
by saitamanohotori | 2005-03-13 15:13 | ふるきよき